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研究会設立にあたって

代表弁護士 井上 清成

 指導・監査・処分のもとになっている健康保険法では、患者の受療権も医療者の診療権も保障されておらず、制定当初の大正11年のままの前近代的とも評すべき法構造が残されています。そのため、指導・監査・処分には、小手先の運用改善では克服しえない弊害が伴っています。そこで、国民皆保険制を守っていくためには、近い将来のうちに健康保険法の抜本的な改正が必要であると思料しています。

 まずは、弁護士の有志少数で、法技術的観点に力点を置いた必要最小限の法改正の提言を行うために、本研究会を立ち上げました。今後は、医師・歯科医師、患者・国民の皆さんの間に議論が広がって行くことを望んでおります。
 よろしくお願い申し上げます。


ごあいさつに代えて

代表弁護士 石川 善一

 なぜ私が「指導・監査・処分改善のための健康保険法改正」が必要だと考えるようになったか、その理由の要約と、私がそのように考えるようになった端緒から本研究会設立までの経緯をご説明することで、私のごあいさつに代えさせていただきたいと存じます。

 まず、その理由を要約すれば、いわゆる溝部訴訟を通して、健康保険法の前近代的な構造とこれによる多くの不幸を知り、同法が改められなければ、裁量権を逸脱・濫用した処分やその他の不幸が繰り返されるだけではなく、その不幸の下に広がる萎縮医療などによって、広く国民の「健康的生存権」(憲法25条)が侵害され続けると考えるようになったからです。

 また、私がそのように考えるようになった端緒は、平成17年、「みぞべこどもクリニック」の溝部達子医師に対する保険医療機関指定取消処分および保険医登録取消処分について、その聴聞および取消請求訴訟(いわゆる溝部訴訟)を受任したことにありました。

 私は、元来は医療関係の専門家ではなく、長い間、いわば町医者弁護士として、多種多様な事件を受任し、解決してきました。ところが、溝部訴訟は、それまでの受任事件とは、まったく別世界の事件(簡単に言えば、依頼者にとって一方的に不利)でした。

 最初、受任した時点で、(1)健康保険法令を調べてみると、「指導・監査・処分」に関しては、相手方(国)の厚生労働省大臣及び地方社会保険事務局長(現在は地方厚生局長)に広範な権限のみあって、依頼者の「保険医の権利」の保障はなく、(2)判例を調べても、保険医または保険医療機関の取消処分の取消請求を認めた判例は、見つかりませんでした(行政手続法違反を理由として取消処分を取消した判決は、1件だけありましたが、その保険医・保険医療機関は、その後、再度、行政手続法に従った理由提示のある処分通知を受け、結局、登録・指定が取消されていました)。

 続けて、訴訟を遂行する中で、(3)相手方(国)は、社会保険事務局長のした取消処分の適法性を基礎付ける事実を主張・立証しましたが、それは極めて容易なことでした。第1に、健康保険法(実体規定)の定める処分の要件は、広範(療養担当規則違反さえあればよい)ですから、相手方にとっては、その事実の存在を主張・立証することは、極めて容易なことでした。第2に、健康保険法(手続規定)の定める取消処分に至る監査や地方社会保険医療協議会への諮問の手続において、保険医・保険医療機関の権利(手続上の防御権)の保障はないのですから、相手方にとっては、法に従って手続を経たという事実を主張・立証することも、極めて容易なことでした。言い換えれば、依頼者(保険医)の立場で、相手方の行為(処分)の違法性を主張・立証することは極めて困難でした。

 最終的に、(4)勝訴判決(東京高裁平成23年5月31日判決)が確定しても(すなわち、溝部医師に対する前記各処分が取消され、その保険医登録・保険医療機関指定は維持できても)、「依頼者の権利を護ることができて良かった」と安堵することができませんでした。そもそも「保険医の権利」が保障されていないのですから、今後も、すべての保険医にとって、溝部医師に対するのと同様な、違法な処分が繰り返されるおそれがあることは、変わっていません(東京高裁判決も、例外的な裁量権の逸脱を理由として処分の実体的な違法性を認めたものであり、処分の手続的な違法性は認めませんでした)。

 さらに、私は、溝部訴訟を遂行する過程で、「指導・監査」に関しては、保険医の自死や贈収賄が繰り返されていることを知りました。そして、違法な処分との関係を考えてみると、これらの不幸や、以前から耳にしていた「萎縮医療」も、行政庁の広範な裁量を認め、保険医の権利保障がないという健康保険法の前近代的な構造によるものであることが分かりました。

 溝部訴訟の甲府地裁判決後に、その報告をした「指導・監査・処分取消訴訟支援ネット」「保険医への行政指導を正す会」共催のシンポジウムにおいては、同支援ネットの高久隆範代表が「指導・監査・処分」を「闇の世界」と呼び、私は、その中世(前近代)の絶対王政の「闇の世界」に光を射したのがアメリカ独立宣言(1776年)やフランス人権宣言(1789年)であったことと、甲府地裁判決のささやかな法の光が東京高裁判決で大きくなることへの期待を話しました。

 しかし、東京高裁判決では、その法(解釈)の光が僅かに強くなった点もありましたが、裁判所の判決の限界がありました(違憲でない限り、立法政策には踏み込まず、立法を前提とした法解釈と事実認定によって、個別具体的な処分について事後的に救済するにとどまることなど)。健康保険法の前近代的な構造(立法政策)を変え、行政庁の広範な裁量を限定(近代立憲主義の「法律による行政」を実現)し、行政処分を受ける保険医等に現代的な手続上の権利保障をするには、健康保険法自体の改正が必要です。そして、その改正の理念は、現代の憲法が保障する「健康的生存権」(25条)にあると考えられます。

 そこで、私は、溝部訴訟の東京高裁判決が確定した後、シンポジウムや幾つかの保険医協会等の団体において、同判決の意義と今後の課題について講演する中で、現在の指導・監査において同判決の内容をどのように活かせるのか等について説明するにとどまらず、健康保険法の改正を訴えてきました。

 そのような時に、これまで医療問題全般に渡って積極的に提言をされてきた、医療法務の専門家である井上清成弁護士から、溝部医師と共に、健康保険法改正の研究会を設立するとの呼びかけを受けました。同法に大きな問題があることと改正の必要性について、井上弁護士は、専門家として同じ認識であり、また、溝部医師は、違法な処分とそれに至る権利保障のない手続を、身をもって体験した医師として強い思い(同法による指導・監査・処分制度を現状のまま次の世代に遺してはいけないという思い)があり、小嶋勇弁護士、根石英行弁護士、礒裕一郎弁護士も加わって、共に本研究会を立ち上げたものです。

 そしてまず、その2月23日の「指導・監査・行政処分の改善のための健康保険法改正に関する基本的提言」の中では、基本原則の提言と同時に、研究会の一致した結論として「必要最小限、指導・監査における保険医(医師)の弁護士選任権を確立させねばならない……緊急に健康保険法を改正し、指導・監査における保険医(医師)の弁護士選任の権利を明文で定めるべきである。」と提言し、具体的試案も提示しました。

 指導・監査における保険医等の弁護士(立会人)選任権を定める改正は、実体上の行政庁の「広範な裁量」を制限する改正(最も実現が困難な根本的な改正ですから、いわば最終目標)とは異なり、手続上のささやかな権利を保障する改正ではあります。しかし、健康保険法上、指導・監査・処分に関する初めての保険医等の権利であり、その小さな一歩を実現するためにも、皆様のご理解とご協力をいただきたいと存じます。