ホーム >> 会員の意見

指導・監査・処分の「3つの不幸」◆Vol.2 担当官の「広範な裁量」を限定する法改正が不可欠

石川 善一(石川善一法律事務所 弁護士)

(2012年4月11日 m3.com 医療維新掲載) http://www.m3.com/iryoIshin/article/150174/

 4.3つの不幸の根底にあるもの

 筆者は、溝部訴訟を遂行する過程で、前記1、2の不幸を知り、本件各取消処分との間に関係性があることは、直感的には分かりながらも、まさに「間抜け」なことに、その関係を明確に説明できないでいた(いわば3つの不幸の関係を証明する「補助線」を引けないでいた)。

 しかし、その解(補助線)は、溝部訴訟における国の控訴理由書の中の下記の根本的主張(プラス、その結果当然に生ずる保険医の「恐怖」)にあった。

 甲府地裁判決は、裁量権逸脱の判断をする前提として、「処分理由となった行為の態様、利得の有無とその金額、頻度、動機、他に取りうる措置がなかったかどうか等を勘案して、違反行為の内容に比してその処分が社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合には、裁量権の範囲を逸脱し又はその濫用があったものとして違法となると解するのが相当である」という比例原則に沿った判断基準を示した。

 国は、これを不服とする理由として、「健康保険法80条、81条は、(1)保険医療機関又は保険医に療養担当規則等に違反する事実があったかどうか、(2)その違反事実に照らし、当該保険医療機関又は保険医が・・その指定又は登録の取消しに値するかどうかを、厚生労働大臣又は・・地方社会保険事務局長の・・広範な裁量にゆだねる立法政策によっている」((1)と(2)は筆者が挿入)との根本的主張をした。その上で、「裁量権の逸脱、濫用の有無の判断にあたって、処分理由となった行為の動機をはじめとする上記の各事情を勘案することは、健康保険関係法令の趣旨・目的との関係で考慮に値せず、あるいは考慮すべきでない事情を考慮するものである」とし、甲府地裁の判断基準を批判した。

 確かに、健康保険法(すなわち国の立法政策)を見ると、72条1項で「保険医は、厚生労働省令で定めるところにより、健康保険の診療に当たらなければならない」とした上で、保険医が同項の規定(結局、厚生労働省令=療養担当規則)に違反しただけで、81条により保険医の「登録を取り消すことができる」とし、80条により当該保険医が診療に従事する保険医療機関の「指定を取り消すことができる」(また、同条によれば、診療報酬請求について「不正があったとき」も、保険医療機関の「指定を取り消すことができる」)としている。すなわち、同法は、行政庁が「取り消すことができる」要件を限定することなく広範にし、「取り消す」か否かを行政庁の広範な裁量に委ねている。

 健康保険法の沿革を調べてみると、このような同法の構造は、1942年(当時の総理大臣は東条英機)の改正により行政庁が保険医を指定する制度となった当初から、変わっていないのである。当時の同法43条ノ4は「保險醫…ガ療養ノ給付ヲ擔當スルニ關シ必要ナル事項ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム」とし、翌年3月の命令(厚生省告示)で「保險醫療養擔當規程」を定め、同法施行令の75条2項は「保險醫…ガ療養ノ給付ヲ擔當スルノ責務ヲ怠リ其ノ他保險醫…トシテ不適當ト認トムベキ事由アルトキハ地方長官ハ前項ノ指定ヲ取消スコトヲ得」としていた。

 そして、本件各取消処分(裁判所が違法と判断した処分)がされたのも、国(行政庁)が自ら主張する通り、その立法政策による「広範な裁量」があるからであった。

 また、厚生労働大臣または地方社会保険事務局長(現在は地方厚生局長)の「広範な裁量」は、現実には、同局長の下で指導・監査・処分を担当する行政官(担当官)に事実上多くを委ねられている。少なくとも、局長は、保険医等と直接対面することはなく、指導・監査を行う担当官からの報告に基づいて、指導・監査の必要性ないし処分を判断する。

 その「広範な裁量」によって「(1)保険医療機関又は保険医に療養担当規則等に違反する事実があった」と判断され、「(2)その違反事実に照らし、当該保険医療機関又は保険医が……その指定又は登録の取消しに値する」と判断されることを知ったとき、保険医等は、大きな「恐怖」に陥る。

 前記1の個別指導における各担当官の発言(「こんなことをしておられると、医者ができんようになるかもしれないな〜」、「こんなことをして、おまえすべてを失うぞ!」)は、いわば死刑の予告である。「指定又は登録の取消し」は、保険医療機関・保険医にとっては、死刑に相当するにもかかわらず、担当官の「広範な裁量」によって判断されるのである。

 違法な取消処分についての国(厚生労働省)の正当化根拠が「広範な裁量に委ねる立法政策」であり、地方厚生局長(現実には対面する担当官)の「広範な裁量」に対する保険医等の「恐怖」から、保険医の自死や、贈収賄事件(いわば健康保険法の構造的な病理現象)が生じているのである。

 このことは、例えば、自動車運転免許の取消・停止の行政処分における裁量(いわゆる点数制度により処分要件が限定されている)、または運転免許者(自動車運転を生業としている者を含む)が警察官によって道路交通法令違反を指摘されたときの「恐怖」の有無・程度と比較してみれば、理解されやすいであろう。

 保険医は、個別指導歴も、措置歴・処分歴もないまま、初めての個別指導で、それまで医師として正当だと判断して行っていた診療について、担当官によって厚生労働省令(療養担当規則)違反の疑いがあると判断されれば、監査になり、そこで同規則違反の証拠があると判断されれば、行政庁の「広範な裁量」によって、直ちに取消処分にもなり得る。

 すべての保険医は、保険診療において厚生労働省令に反する(保険医療機関は、「診療報酬の算定方法」との関係で正しくない)可能性がある以上、保険医の登録(その保険医療機関は指定)を取消される可能性があり、しかも、指導・監査の手続によっては、その可能性が大きくなる。

 例えば、溝部医師の場合は、情報提供を受けて(どの保険医も、それぞれの事情によって、何らかの関係者や組織から情報提供を受けるリスクは一般的に存在する)、初めての個別指導は、本来の指導がされないまま、直ちに中断(患者調査後)再開・中止となった。次の監査でも、弁護士のいないまま(筆者は聴聞での代理人選任権に基づいて代理人となった)、担当官の裁量によって、(1)「療養担当規則等に違反する事実があった」(患者を対面診察していない「不正」や「不当」な検査など)とされた事実の一部については、溝部医師の記憶と真実に反して「認める」という調書(自白調書)が作成された。そして、監査後、地方社会保険事務局長が、(2)「その違反事実に照らし、当該保険医療機関又は保険医が……その指定又は登録の取消しに値する」と判断し、本件各取消処分がされた。

 要するに、現行の(行政庁の「広範な裁量」という構造は、1942年改正以来、変わっていない)健康保険法の下では、すべての保険医は、個別指導はもちろん、監査・取消処分の潜在的対象者であり、そのうち誰が監査・取消処分の対象となるかは、行政庁(ないし担当官)の「広範な裁量」によって判断されるのである。

 5.健康保険法の構造的な病理現象の広がり

 「広範な裁量」を原因とする病理現象として考えてみると、保険医の自死も、贈収賄事件も、違法な本件各取消処分も、いわば氷山の一角であり、それぞれの水面下には、山のような病理現象がありそうだ。

 第一に、保険医の自死についても、その多くの遺族は「自殺」であることや指導・監査を受けたことを知られたくないと考えるので、前記のように公になった例は、ごく一部のはずである。また、自死は、精神的に追い詰められた最後の選択であるから、その選択に至らないものの、「広範な裁量」による処分を背景とした、指導・監査における「恐怖」によって(誘因となる場合を含む)うつ病になったり、精神的なダメージを受けた保険医は、数多くいるはずである。

 第二に、贈収賄事件も、両当事者はこれを隠すので、有罪となった(すなわち証拠によって証明できた)例は、ごく一部ではなかろうか。また、贈収賄とまでは言えない私的な利益の供与と公的な便宜(情報も含む)の供与とのやり取り(癒着)は、贈収賄事件として明るみになった例よりも多く存在するのではなかろうか。

 第三に、確定判決によって裁量権の逸脱または濫用を理由として違法と判断された保険医や保険医療機関に対する処分は、筆者が知る限りは、本件各取消処分だけであるが、他にも同様に違法な処分は存在したはずである。少なくとも、一審判決で同様な理由で違法と判断された2件(神戸地裁2008年4月22日判決、福島地裁2009年3月24日判決)の行政処分については、各控訴審は(特に後者は「訴えの利益がなくなった」という全く別の理由で)一審判決を取消してしまったものの、筆者は、いずれの処分も違法であったと考えている。また、現在まで毎年多数の処分がされてきた中で、処分取消請求訴訟を提起した保険医・保険医療機関は一部であるから、同訴訟提起を諦めた多くの処分の中には、比例原則に照らして違法な処分もあったと思われる。

 第三の「違法処分」に関しては2つの方向で延長線を見ると、さらに広がりがある。1つは、「処分」にとどまらず「指導」「監査」を見ると、裁量権の逸脱・濫用とは別の、手続上の違法がある。指導医療官等の脅迫的発言だけでなく、個別指導において「厚生労働大臣は……職員に……保険医療機関若しくは保険薬局について……診療録、帳簿書類その他の物件を検査させる」(監査について定める健康保険法78条1項)と同様の手続が行われていることなどである(正確には、後者は実体上の「広範な裁量」を原因とするものではなく、手続上の違法の問題である)。

 もう1つは、「違法」にとどまらず「不当」な処分(加えて個別指導・監査)を見ると、その数ははるかに多くなる。すなわち、行政庁の「広範な裁量に委ねる」健康保険法の下では、処分は「社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らか」(判例)である場合だけが違法となるのであるから、これに至らない「不当」な処分は、多数存在するはずである。また、指導・監査についても、健康保険法は、行政庁の裁量で(指導は無条件で、監査も「厚生労働大臣は……必要があると認めるときは」)できるとしているので、個別指導・監査による保険医等の負担(事実上の不利益)を考えると、違法とは判断されなくとも、その不利益に相応する理由のない「不当」な個別指導・監査も、多数存在するはずである。

 法改正のために踏み込んで言えば、前記第一および第二に共通する人間の自然な心理(安心を求め、権力者に迎合する心理、「長いものには巻かれろ」という処世術)の延長線にあるのが、いわゆる萎縮医療(日常的な保険診療における萎縮)であり、萎縮していない保険医・保険医療機関に対する行政処分が、第三の違法な処分であるとも言えよう。

 例えば、「みぞべこどもクリニック」について、山梨社会保険事務局長が厚生労働省保険局長との内議を経て、「1シーズンに3回目のインフルエンザウィルス抗原迅速診断検査は、保険診療上必要な限度を超えた不当な検査に該当する」として、「検査料について、保険診療上必要限度を超えた検査を行い、診療報酬を不当に請求していた」ことを理由の一つとして本件各取消処分をしたことは、診療(診断のために必要な検査)の萎縮を招くものであった。

 6.東京高裁判決(法解釈)の限界と法改正の必要性

 溝部訴訟の東京高裁判決は、その結論において、本件各取消処分を取消す司法救済をしただけでなく、その理由において、(1)事実認定に関しては、「不正」「不当」の事実の証明責任は国にあることを前提にした上、例えば、「これらの検査が一定の期間内に3回以上行われた場合には保険診療上必要な限度を超えた不当検査となることを認めるに足りる証拠がない」と判示した。国が主張する「広範な裁量」を、まず事実認定において制限したものである。

 また、認定された「不正」「不当」の事実を前提としても、(2)裁量権の逸脱・濫用の判断基準に関しては、甲府地裁判決の「処分理由となった行為の態様、利得の有無とその金額、頻度、動機、他に取り得る措置がなかったかどうか等を勘案して、違反行為の内容に比してその処分が社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである」か否かという判断基準(諸事情の考慮と最低限の比例原則を取り入れた判断基準)を引用した。

 さらに、「保険医療機関の指定及び保険医の登録の各取消処分が事実上、医療機関の廃止及び医師としての活動の停止を意味する極めて重大な不利益処分であることに鑑みると、健康保険法の解釈として、処分の際に考慮すべき事情がこれらに尽きるということはできず、処分理由とされるべき行為の動機をはじめとする上記の諸事情も処分に当たって考慮しなければならないと解すべきであるから、控訴人の上記主張を採用することはできない」と判示した。このような法解釈によって、考慮すべき諸事情の拡大と最低限の比例原則を導入した限りで、国が主張する「広範な裁量」を制限したものである。

 しかし、同判決も、前記Aの裁量に関しては、健康保険法80条と81条が、「保険医療機関の指定取消及び保険医の登録取消の可否を、厚生労働大臣又はその委任を受けた地方社会保険事務局長の裁量に委ねている。そして、……不適任である保険医療機関・保険医の指定・登録を取り消すか否かについては大きな裁量がある」と確認し、「広範な裁量」を「大きな裁量」と言い換えただけで、根本的には国の立法政策を否定することはできなかった。

 また、この東京高裁判決が出ても、今後、「広範な裁量」に基づく病理現象が違法な行政処分(裁量権の逸脱・濫用)として現れたときだけ、しかも、その保険医等が司法救済を求めたときだけ、東京高裁判決の判断基準によって救済できる場合に限って、事後的に個別の違法処分が取消されるにとどまる。

 なお、東京高裁が法解釈として判断基準を示して、本件各取消処分を取消した以上、今後は、行政庁が同判断基準に従うことにより、同様な違法処分をしないようになることが望まれるが、法改正ではない以上、行政庁が従う保証はない。

 したがって、東京高裁判決が確定しても、健康保険法に基づく「広範な裁量」を原因とする他の病理現象は、根本的には変わらない。すなわち、裁判所は、国会が定めた法を前提(ただし、違憲無効な法だけは例外)として、具体的事件の解決に必要な限りで、法を解釈する(行政庁の法解釈が誤っていれば、結果的に、その解釈を正す)にとどまり、法を改正することはできないのである。

 そこで、前記病理現象を根本的に小さくするには、行政庁に「広範な裁量」を委ねている立法政策(健康保険法)を国会で改める他ない。

 以上、要するに、保険医(医師)個人は、指導・監査・処分の前記「3つの不幸」(法構造的病理現象の氷山の一角)に象徴されるように、保険医(医師)個人は、行政庁の「広範な裁量」の下で、「恐怖」に弱く、また、恐怖が現実化した違法な行政処分(国家の行政権力の行使)を覆すのは極めて困難であり、且かつ司法権によって覆されたとしても、個別の処分の取消にとどまるのでり、同様な処分がされる「恐怖」は消えない。そこで、三権分立の法治国家においては、そのような保険医(医師)個人は、集団(団体)として、立法府に働きかけて、立法(法改正)によって行政権力を縛る他ないのである(法治国家でなければ、国民代表の立法府を形成する民主革命から始めなければならないが、幸い現代の日本は、法治国家である)。

 

◆Vol.3 「保険医の権利として立会人選任権を定める法改正を」へ続く